1年ぶりの更新が旋盤に全く関係ないんですが、語れる人もいないんでここに書きます
原作
朝井リョウ先生の原作「正欲」は有名な小説で賞も取ってますから、面倒なので説明しません
買って読め!
私も知り合いからオススメされて読んだ人です。原作を読んでから映画観たほうが良いよって言われたので頑張って読みましたよ!
映画を観るために読んだ感じです。
原作の感想
あぁ、読むのめんどくせぇって思いながら、映画を観るために我慢して読んでました。私はいつも現代日本小説を読まないんです。SF小説のほうが好みなんですよ。でも自分の世界を広げるためにも頑張りました。
説教臭いなっていうのが、一番簡単な感想かな。朝井リョウ先生ももしかしたら、説教したい相手がいるのかもしれない。その思いを書き込んだのかな。
誰かに感情移入できたら特別な作品になると思いますが(当たり前か)、なんかみんなめんどくせぇなって思ってました。自分の性欲と世間の正欲が一致しないから、認められないから、認めてもらえないから、もうその事は初めから分かってて、初めから諦めてて。でも認めてほしいし、さみしいという気持ちは捨てきれない。
なんなん?こいつら。
諦めてるつもりなのかもしれないけど、諦めきれてない。さみしさと諦めなら、未だにさみしさの方が勝ってて、だから水の性欲を持つ人達で集まるわけでしょ?本当に諦めてるなら、同じ性欲の人たちの集まりを作る必要もない。
「この世にはいろんな情報があって、どれも明日生きる、生きたい人たちのためのもの。」(要約できてないか?)ってさ。確かにこれは自分も考えたことないし、電車の広告とかもそんな捉え方したことないから、これは新鮮だったな。
誰にも生きづらさなんてあるし、誰でも個人的な地獄はある。その地獄が人によっては性的マイノリティや特殊性癖があることだったりする。ここ数年は多様性と言って性的マイノリティ(性欲)を世間の正欲として認めほしい運動が活発でしたね。
でも認めるには限度があるよね。(これは諸橋も理解してて、ほっといて欲しいと思ってる)
誰の地獄も認めてたら全員わがままになりますよ。みんな生きづらいわ。認めてもらうには、誰かを認めないといけない。誰の地獄でも誰の性欲(正欲)でも。
尊重するのはわかる。でも棲み分けは大切。時に本当の尊重は無関心になることかもしれません。
セックスの疑似行為を佐々木と夏月がする描写がありますが、この時に夏月が「異性と知り合って、連絡先交換して、駆け引きとかして、おしゃれして、デートして、その最終ゴールがこれ?」と言います。これにはなんだか私も共感しました。セックスってなにがおもろいん?男は出したら終わりやん。そう、結局男女の行き着く先はセックスなんだよね。それが分かってからは男女の仲が面白くなくなったかな。だからセックスのないボーイミーツガールが好き。(Vガンダムなどなど)
何度も読む途中でめんどくささが襲いましたが、最後に佐々木の上司:田吉幸嗣の取り調べシーンがあって、ここは展開がガラリと変わって、面白いと思いました。ここでようやく読んでて面白いと思った場面でした。
映画の感想
よくまぁ、2時間14分でまとめたなぁ。この映画の脚本を本にしたらもっと読みやすいのになぁ、でも全然大切なことが伝わらないか。
細かな原作改変が多々ありますが、これは仕方ないね。時間が足りないから。
まぁ、批判するのは簡単なのであえて批判なしで語りたい。いや、批判はあるよ。ないわけではない。
佐々木と夏月が中学生の頃に、蛇口を壊して吹き出る水を二人で浴びる描写は美しかったな。そこは好き。
諸橋を演じた佐藤寛太はいい演技でしたね。あの諦めてる感じから出る無気力な感じ。
神戸八重子を演じた東野絢香さんも良かった。原作では自分の容姿を気にしてる人物です。これが映像ならどんな顔の役者がくるか気になりましたが、いい役者でしたね。演技も良かった。
いや~、これは確かに映画観る前に原作読むべきですね。というか、原作よんだら映画観る必要ないですよ。
映画と比べたら原作がどれだけ面白いかよくわかりました。原作の良さを理解するために映画見てよかったです。これは他人にすすめる時は原作読んで、映画は観なくていいって言います。
おわり
1年ぶりの更新がこれかよって感じですが許しておくれ。
去年はジムトフに初参戦したり、国立国会図書館で知る人ぞ知るドリルのシンニング形状を調べたりと、書ける記事はあるんですがやる気がね。仕方ないね。だめだね。
とにかく朝井リョウ先生の「正欲」は映画ではなく!原作を読め!!