いや、外出るなよ。
と、思う方もいらっしゃるかと思いますが、やはり少しは外にでないと最悪、鬱病や自立神経失調症になりうるので、
人と接する機会を減らして外に出るそれが「深夜徘徊」。
3密でなければ大丈夫。人と会わなければ大丈夫だと思っています。
昼間に堂々と出歩くことができないというか、できないわけではないけど、
確かに、堂々とランニングしている人はいるし、買い物もしていい。
でも、どれも多くの人は昼間に行うと思います。
そうなると、人との接触頻度が高まり、感染リスクも上がる。
なら、そうなるなら、人が出歩かない深夜になるんじゃないんでしょうか。

「深夜徘徊」は悪いことでない!
深夜に出歩いている人は怪しいですが、それは先入観ですよ。
多くの人が子供の頃に「夜中に出歩くな」とか、「門限までに帰れ」とか言われてきて、
あたかも、深夜は出歩いてはいけない、出歩いている人は悪人みたいな思考に自然とできてしまっていると思うんです。
確かに、夜中に出歩くと誘拐や殺人などの犯罪に巻き込まれたりする可能性が高まりますから、
子供や女性には難しいですよね。 それはわかります。
だからといって、成人男性は安全か、と言われると絶対安全とは言えません。
まじで、怖い不気味な人がいます。
川沿いの家を真正面から見つめてただ、突っ立っているおっさんとか、
ぶつぶつ独り言を言っている人とか、
不気味では無いけど怖い人(ヤンキーのたむろとか)うるさいバイクで走っている人
危険かもしれない人はいます。
でも、深夜徘徊をしているだけの人は悪くない。
危険かもしれないから悪いんじゃないんですよね。
全く別の話だと思います。
まぁ、ここは自己責任ですよね。
「もう夜遅いしなぁ」じゃなく、
興味があるなら、夜に踏み出すべきだと思います。
見慣れた景色も変わりますよ。
「深夜徘徊」の魅力。
自分は何が良くて「深夜徘徊」をしているのか。
・静か。
当たり前ですが昼間より静かですよね。聞こえるのは自動車やバイクの音が時々で、
基本的には風の音、自分の服が擦れる音、自分の靴音。それくらい。
外にいるのに自分の部屋にいるような落ち着き。
世界中に人はいるのに、自分は独り。
そんな感じがすき。
雰囲気が違う。
ただのコンクリート製の道。よくある街灯。
それらが意外と、未知な体験のように思える。
フィクションのように錯覚。でもリアル。
日常に「深夜徘徊」がある人は少ないです。
ということは、非日常的な体験になるんですよ。
ただ、夜中に出歩いているだけなのに、捉え方によっては非日常のようになって、
非日常を体験できるのは、漫画、アニメ、映画、小説、などの創作物で表現されるフィクションが多いと思います。
でもそれらのフィクションはリアルじゃないですよね、
リアルじゃないから楽しめるところ、リアルじゃない前提でみるから中にあるリアルっぽさが面白さにつながるところなどがあるんですが、
リアルを参考にして作っているんだけど、リアルそのものではない。
日常に慣れすぎると、リアルさ、現実味が薄れてきて、生きていることを実感することが無くなる。フィクションのほうが刺激的なものに感じる。
そんな中で、日常の中でフィクションに触れて刺激を感じるだけでなく、
ストレスを受けた反動かわからないけれど、娯楽を消費するだけでなく、
一時の快楽のためだけに、いきるのでなく、
あえて、非日常的なことを日常にぶちこんでみる。
リアルにフィクションを持ち込んでみて、生き心地を確かめる。
そのまま、非日常的体験(フィクション)が日常になってもいいと思います。
でも、非日常的体験(フィクション)をいくら重ねても、重ねた体験は絶対にリアルなんですよ。
いくら自分が感動しても、創作物で表現されるフィクションや娯楽や快楽のために消費するフィクションにはならない。
絶対的なリアルなんだけど、そのことは十分頭で理解できるはずなんだけど、
体感的なフィクションっぽさを感じられて、そこが魅力の一つです。
光、輝きが、灯っているものの存在感が増す。
深夜徘徊で何も見えないくらい真っ暗だと外に出る意味がない。
少しの明かりは必要なんですよ。
その少しの明かりの存在感が増すんです。
いつも当たり前に灯っているものを再確認できます。
その典型が、夜景ではないでしょうか。
夜景撮影だって、真っ暗闇を撮っているわけではありません。
キレイだから撮るんですよ。
ビル群や、工場地帯、住宅街など、
ただ、夜になっただけで、昼間の光景が、夜には風景になり、景観になり、時には情景にもなりうる。
コンクリートブロックに囲まれて生まれ育った現代の人間には、ビル群や、工場地帯、住宅街は自然なものであり、
景色として、とらえられる。
ただ、夜になっただけなんですよ。
それだけで、改めて存在を確認することができる。
怖いときもある。
怖いときもありますよ。
いい年してビビリかよって感じですが、深夜の神社とか、
足元がかろうじて薄く見える林の中とか、
でも、何より怖いのは人間です。
深夜徘徊のときはできるだけ人とすれ違わない。
後ろに人が歩いていたら、角を曲がるか、逃げる。
これは意識していたほうが良いです。
ホラー映画やお化け屋敷より、本物の人のほうが怖い。
でも、何よりもリアル。
ここが重要なんですよ。
「深夜徘徊のススメ」
なんだっていいんですよ。
ただ、夜に出歩くだけで非日常的体験になるんですよ
簡単です。外に出るだけ。
金がかからないし、途中で飽きても良い。
でも、帰るまでに次に何をするか、そのためにどんな準備をすればいいかを考えて家に帰るべきです。
深夜徘徊じゃなくてもいい。
いつもと違うことをやってみる。
深夜徘徊は金がかからず、好きに始められて好きにやめられて、独りでもできて、
独りじゃなくてもいい、
飲みの帰りに、あえて一駅歩くだけでもいい、
深夜にラーメンを食べに行くときにあえて、徒歩でいくことでもいい。
なんだっていいんです。
最後に。
深夜徘徊中になんとなく携帯(iPhone6s)で撮影した写真です。



なにこれ、もっとキレイに撮影したいよ!
この前買った「GoPro HERO8」 (モトブログを始めるにあたっての装備を考える)で撮影してみました。

これなんだかわかりますか?
夜桜です。
見えないですよね。
「GoPro HERO8」は手のひらサイズでポケットにもすんなりと収まるので、スナップシューターとして使えるかもと思ったんですが、
明るいところで動画を撮影するなら良いけど、暗いところで撮影は不向きでした。
そして、iPhone6sもカメラ性能は何年も前なので、期待に応えることはできない。
こうなると、カメラが欲しくなる。
カメラがほしい。
いろいろ調べました。
個人的には、FUJIFILM の「X100V」
同じく、FUJIFILMの「 X-Pro3 」
のどちらかだと考えています。
フィルムシュミレーションの「クラシックネガ」がものすごく魅力的に感じたからです。
どちらも 「X-Trans CMOS 4センサー」というセンサーが搭載されていて、このセンサーでないと「クラシックネガ」が使えないらしいです。
どちらかかが欲しい、でも高い。
「X100V」は約16万。
「 X-Pro3 」は20万を超える。
高いわ。
理想は「XE-3」の後継機「XE-4」がでて、「クラシックネガ」が使えたら最高なんです。
スナップシューターとして使いたいでも、35mm換算50mmの画角で撮影もしたい。
こうなると、「XE-4」の登場が期待されるわけです。
どうすればいいんだ。
とりあえず、
もうこんな時間だし、
軽く歩くか。